花祭り

今日4月8日は、仏陀の聖誕祭、花祭りの日だ。
約2500年前に、ゴータマシッタルダは、北インドに生まれたことになっている。
 
 膨大な数の仏典があるが、ゴータマ・シタールダ自身は、経典を書き残していないので、経典に書かれている言葉は、仏陀そのものの言葉ではない。
 
 そんな中で、阿含経やパーリー語の南伝大蔵経が、原始仏教の経典といわれている。
 
 しかし、阿含経とて、後世に、しかも部派仏教の人々によって書かれたものだから、仏陀の言葉そのものとはいえない。
 
 だから、実際瞑想や六波羅蜜(布施行など)を実践することによって、仏陀智慧に到るしかない。
 
 原始仏教の根本教説「縁生・縁起」についても、色々な解釈がなされている。
 
何れの解釈を採用するにせよ、実際に苦しみの解決に結びつく解釈を採用したい。
どれが学問的に正しい解釈かどうかは、仏教学者諸氏に任せておくことにしよう。
 
「無明」智慧のなさから、苦悩が始まっているのは確かだ。
 
 自分にとって、不利益、苦しみをもたらす結果となると分かっている行為であっても、人(私)はその行為を続けることがある。

 その行為以外だと、もっと不利益になるとか、もっと不幸になると思っていたり、利益や苦しみをもたらすことのない別の行為を知ってはいても、自分にはそれを遂行する力がない、と自信をなくしていたり、勇気が挫かれていたりする時だ。