自分の事は分からない

ついつい、頑張ってしまう自分がある
完璧を目指してしまう自分がある
 
都合の悪いことに、周りのものや世間は、そんな姿や成果を褒めてくれる
 
いつもどこかで、自分を叱咤激励している、ある時は追い詰めている
 
若い時と違って、自分で自分を追い詰めても、そのことで他人に八つ当たりはしないが、黙々努力するのが、習い性になってしまっている
 
自分自身のことでありながら、ほんとのことは分からないが
家柄とか血筋とかいうものに、普通以上に批判的な自分ではあるが
もうそんな時代ではないと思っていたりするが、
男とは、女とは、という言い方に批判的な自分ではあるが、
家柄や血筋といったことに、どこか心の深いところでコンプレックスがあり
男は、頑張って当然、立派であらねばならない、という思いが、無意識的にあるような気がする
 
浅田次郎著、「輪違屋糸里」のなかの壬生浪士達の生い立ちを読みながら、ふとそう思った
輪違屋糸里 上