排泄の話は大切だ。いのちのリアリティーと向き合う時間だ。

排泄・排便の話をすると、スカトロジーだといって、嫌な顔をする人がいる。
私は、排泄の話は大事な話だと思っている。
水木しげるサンの<生まれたときから「妖怪」だった>を読んでいて、ますますそう思う。
生まれたときから「妖怪」だった
 
人間が生きていく上で、一番必要なのは、空気。5分ほど息を止めると、よくわかる。(実験しないこと)その次は、水で、その次は、食べ物。
 
食べると、排泄するのは当然。
快便であることに越したことは無いが、快便でなくとも、生きるということのリアリティー、他のいのちとのつながりを感じる大切な時間だと思う。
 
近い将来、太平洋側で、大地震が起こると心配されているが、色々対策や心配があるだろう。
 
私が気になるのは、もし生き延びたとして、排泄はどうするのだろうということだ。
 
私の仕事場がある勝浦の町だって、多くが水洗トイレで、地面はほとんどコンクリートアスファルトに固められている。
 那智の砂浜で行うには、余震が怖い。となると、山へ行ってするしかない。
 では、大都市ではどうするのだろう。
 
地震が来なくとも、大都市では水不足だ。食用以前に、下水処理用の水が不足するだろう。
 
個人的には、私は、リアリティーの時間をじっくり味わっている。
自宅のトイレは汲み取り式だ。しかし、それ以上の過程を知らない。
確か那智勝浦町は、処理して、海へ流しているのではなかろうか。
 
文明国に住む人々に限っていえば、慢性的な水不足になるだろう。
下水は、最終的には、石油を使って処理される。
石油を使って、地下水が吸い上げられ、アメリカは深刻な水不足。
そのアメリカは、石油を求めて、イラクやアフガンに行く。
アフガンに大量の爆弾を落として、緑を奪い、水不足を招く。
それを、中村哲医師が、井戸を掘り、緑を復活させようとしている。
 
排泄の話は大切だ。いのちのリアリティーと向き合う時間だ。
 
幼児虐待を遡れば、ひとつの原因として、排泄行為を汚いものとして、捉えることにあるのではないかと、言う人もいる。
私は、子どものおしめを、嬉々として洗った。
親というものは、そういうものだと思っていたが、
そうでない親もいるかもしれない