焚くほどは風がもて来る落ち葉かな 良寛

脱サラして、接骨院を開業し、12年になろうとしている
脱サラといっても、それ以前も色々な暮らしをしてきた。
 
 開院した当時は、今と保険制度の内容も違っており、一杯のお茶を飲む暇も無いくらい、来院する人が多かった。
 
保険制度の内容が変わり、世の中が不景気になるにつれ、来院者は減っていった。
勝浦は観光の町なので、開院当初、ホテルのメイドさんや、板場さんも結構訪れた。
しかし、ホテルではリストラが進み、残った人は、時間的にも来院する余裕が無い。
  
正直言って、このままいくと、接骨院の経営が成り立つだろうか、と少し不安になったときもある
 
がしばらく、風が吹きすぎるのを待っていると、そこそこ暮らしていくには十分なほど来院者はある
 
10年以上営業していると、ひょっこり7,8年前にやってきた人が来院したりする。
 
まさに、「焚くほどは風がもて来る落ち葉かな」だ
風が吹かない時は、飢えるがいい、と思っている
 
不思議なもので、今日はこの本を読みたい、この原稿を仕上げたいと思っているときは
そのような暇を与えてくれる
今ここで、直接お金に結びつかない遊びの修行をしていて
それが後々、お金や仕事に結びついたりする
 
若い頃は、この世界は競争社会だと思っていたが
今思うには、この世界は複合世界だ

例え、100億200億の財産があっても、不安な人は不安だろう
 
焚くほどは風がもて来る落ち葉かな を誤読して
というか、どう読むかはその人の自由なんだが
程ほどの欲を持つのがいい、なんて道徳家のようなことをいう人がいる
 
欲の程度については、私は知らない、いわない
世を信じると、世もまた私を信じてくれるものだ
そして、落ち葉を運んでくれる
 
今日は、天は暇を与えてくれ、水木しげるサンの、「猫楠」
南方熊楠の生涯を読んだりしている