全共闘焼け跡派

メキシコの画家、フリーダ・カーロの映画ビデオの中に、
 トロツキーが出てくる。
 トロツキーは、メキシコで暗殺された。
    
 トロツキーの姿に触発され、
 今日は朝から、自分自身のこれまでの生涯を振返っている。

 私は、1954年3月生まれで、自分の生きた時代を象徴的に語れば、
 小学校4年か5年の時に、東京オリンピック
 中学3年の冬に、受験勉強をしながら、テレビで、東大安田講堂の攻防を見る
 高校2年生の時に、大阪万博(つまり自然破壊の時代)
 高校3年生の時に、浅間山荘事件となる。
 一浪して、関西の私立大学に入学したものの、通学せず、
 浪人中に出会ったフリークの人たちの生き様に引かれ、
 過疎地に入植した人々を訪ね全国放浪。
 故郷で農業コミューンを作ろうと志し、帰郷。
 一度はサラリーマン生活もよかろうと、国鉄入社。新宮駅勤務。
 国鉄時代に、原始仏教を知る。
 国鉄を退職し、東南アジアへ放浪旅
 タイ・バンコク赤痢になり、死にかける
 日本へ帰り療養
 故郷で、漁師生活をしながら人生の建て直し
 再び、放浪
 夏に淑子さんと出会う 翌年3月結婚
 再び漁師暮らし 家を建て、自宅解放「みんなの家」
 労働環境のあり方を巡って、漁協と対立
 無職時代を経て、再びサラリーマン7年
 脱原発運動に関わる
 日高原発阻止をきっかけに、脱サラ アドラー心理学に出会う
 大阪で3年学校に通い、柔道整復師の資格を取る
 接骨院開業 以来12年
と、簡単に書けばこうなる。
  
 今は、親を責める気持ちは何にも無いが、
私の人生の方向付けに影響を与えているのはやはり両親だろう
 
 毎月月末になると、決まって夫婦喧嘩が始まる
 父は国鉄職員、真面目に働いてはいたが、給料は安かった
 母は、幼い頃、女中さんが二人も付いていた旧家、庄屋の娘、
 しかし、人のいい祖父の時代没落して、一切の財産をなくした
 母は、気のいい明るい人だったが、他人の心の機微が理解できない人
 父の度重なる浮気
  
 「少ない給料なのに、女なんかに貢いで!」という母の言葉に
 「お前のやりくりが下手なんだ」という父の言葉
  
 私の関心は、如何にして夫婦仲よく暮らせるかということより、
 喧嘩の話題になっている「稼ぎ」についてだった。
  
 どうして、世の中には貧乏人とお金持ちがいるのだろう
 お金にあくせくしないで、幸せに暮らすにはどうすればいいのだろう
と、幼い頃から考えていた。
   
 自分が今住んでいる日本の社会を競争社会と捉え
 競争しないで生きていける道はないものか
 競争しない社会は作れないものかと考えていた
  
 新宮高校に通っていた頃、
 岩波「社会主義入門」をテキストに勉強会を、数人で始める
 高校史以来始めて数人で5月1日の地元のデモに、ヘルメットを被って参加
 ノンセクトラジカル、ニャロメ派とヘルメットに画いた
  
 一浪の後、大学に入ったが、大学には通わず、放浪旅へ
  
 政治運動よりもコミューン運動に関心があった
 浅間山荘事件の後でもあったし、
 行くところ、行くところ全共闘世代の焼け跡だった
 
 原始仏教に出会ったこと
 バンコクで死にかけたことも、後の人生に色々影響している
  
 よくテレビ番組で、ライオンが草食動物を襲って食べるシーンが出てきたりする
 元気ならば、ライオンから逃げる、
 ライオンの狩りの成功率はそんなに高くないそうだ
 弱っている時、一応逃げるが、
 いざ噛み付かれて倒れると、抵抗せず、
 どうぞ食べてくださいという心境になるのだろうか
 私はそんな心境だ
 ライオンに出会うと一応、ライオンから遠ざかるけど
 もし、噛み付かれたら、どうぞお任せしますということにしている
 そんな感じで生きている
  
 痛みを抱えていたり、死に掛けたことのない人なら、わからないかもしれない心境
 (痛みのある無しに関わらず、人と人は、分かり合えないのかもしれない)
 若い人なら仕方ないけど、
 ある程度の歳をとっているのに、闇雲に走る人とは、
 どんなに頑張っていても、一緒に時を過ごそうとは思えない