J の痛み 命を削って命を生きる

 最初は、一ヶ月に一度くらい、痛む日があったのだが、それが一週間に一度になり、更に二三日に一度となり、やがては毎日痛むようになった。
  
 時間も、夕方痛んでいたのが、日中も痛むようになり、そして、床についても痛むようになった。
  
 Jは、西洋医学を信じていないわけではないのだが、痛むところを切って取ってしまえば治るとは思っていなかった。
  
 それまでの生活の全てが、今この痛みに通じていると思っていた。
 この生活が続く限り、また再発するであろうと思うのだった。
 切って、痛い目をして、もし再発してまた痛むのなら、今の痛みを耐えるほうがいいと自分に語る。
 
 ならば、生活を変えればいいといわれるかもしれないが、すでに生きてしまった生活は変えようがないし、変えれる部分は変えているし、また、生活を変えるといっても、それが並大抵じゃないことを感じていた。
 
 例えば、「明日から、車あるいはパソコンを使うのを止めたほうがいいよ」といわれて、止めることができる人が何人いるだろう。
   
 幸い自営業なので、仕事中、人目につかない時には、ソファーに横たわるようになった。
   
 一日中痛むようになっても、痛み止めの薬を飲むことはなかった。 
 これまで、風邪をひいたときですら、薬を飲まず、熱が出ると、氷枕で冷やした。
   
 以前から頼まれてあった講演と会議とボランティア活動が重なる日があった。
 それで仕方なく、家族が以前医者から貰った痛み止めを飲むことにした。
   
 するとどうだろう、ずうと続いていた痛みが、だんだんと消えていく。
 痛みが消えていく一方で、今まで体験してことのない頭の中のフワフワ感を感じる。
 口の中が乾く。
    
  次の日、インターネットで検索し、自分の飲んだ薬の副作用を調べてみた。
 腎臓、肝臓の働きが弱ることがあるように書いてあった。
   
  「副作用のない薬などない」とJは思っている。だから今まで薬を飲まなかった。
 今は、副作用を承知で、薬を飲んでいる。きっとこの薬を飲むことの結果が、いつかからだに現れるだろうことを予測して。
   
 J は以前、一生をイメージする時、草花や木をイメージした。
 今は、鉛筆をイメージする。
 芯が短くなる、カッターで削って芯を出す。そうして短くなっていく
 描く為には、自らを削らなければならない。