永遠の謎 意思疎通 わかるということ

「今日はいい天気ですね」と挨拶をする
「そうやねえ、ええ天気やねえ」と返事が返ってくる
   
 <今日はいい天気ですね>という文章に私が込めた意味を、相手が100%理解したかどうか、わからない。
 相手が、<そうやねえ、ええ天気やねえ>という文章に込めた意味を、私が100%理解できているかどうかわからない。
     
 といって、理解できていないんじゃないかと100%疑っているわけではない
     
 疑っていたら、会話は成り立たない
 そもそも、ブログなんかしない
       
 同じ映画を数人で見る
「面白かったね」と皆が言う
茶店に入り、更に詳しく感想を聞くと、何が面白かったか、全然違っていたりする
    
 絵を描く
 上手な人、訓練された人なら、模写をしても上手い
 しかし、写真ほどではない、
 その写真でも、実物と較べたら大違い
 本当に伝えたいことと、実際に表現されたこととは、同じとはいえないなあと思ったりする
  
 色々表現方法がある中で、自分の外で起きていることを伝えるには、言葉と画像のセットが一番伝わりやすいかなと思う。
   
 「山桜の色も色々あるけれど、うちの裏山の山桜の色、とても濃いよ」と、写真やビデオ見せてもらうと、言葉だけよりは、よくわかる
   
 しかし、自分がその桜を見て、何を感じ、どう思ったかを表現には、言葉も画像も不十分だったりする
       
 どのような表現しても、結局全然伝わっていないんだと、100%否定しまうは、問題だけど、同じく、言葉できちんと表現したのだから、相手にはちゃんと伝わっていると、100%信じてしまうのも、問題ありと自分は思っている
   
 永遠の孤独 永遠の謎
   
 君の目の前の、このぼくの手に、君の手を重ねよう、ほら生きている(ともだち)