分かり合えるという言葉の意味を、分かり合える?

なぜ絵を描くのか

 <描く>とは、「自分と世界の関係」「自分と他者との関係」を「探る」「結ぶ」ひとつの行為だと思う
      
 人は、ただ漠然と絵を描くのではなく、描きたい、描こう、丁寧に味わおう、未来の自分自身や誰かに作品を見てもらおうという思いがあって描くのだと思う。
      
 例えば、何かに感動する
しばらくはその感動に浸っているが、
この感動を持続させたい、再び味わいたいと願うだろう
あるいは、誰かとわかちあいたいと思うだろう
そこで、描く
       
 (「人と人は分かり合えない」「人と人は響きあえない」と言う立場もあろうが、ほんとにそう思っている人は、人と人の関係を探ったり、結んだり、絵を描いたりしないだろうから、考慮しなくていいと思う。)
      
 描くためには、よく観なければならない
 その内、よく観るために描くことになる
 よく観ると、より味わいが深くなる
 描くために、観る、観るため(より深く味わう為)に描くといった、円環がそこに生まれる
     
 一度円環が生まれ、よく観るということを学ぶと
 これまで見過ごしていた事柄の中にも、感動を見出す
         
 昔、花瓶やら果物を描いた静物画を見て、
 どうしてこんな日常的なものを描いているのだろう、と思ったことがあった
 確かに、練習のため、あるいは先生に課題として与えられたからといって
漠然と描いている人もいるだろうが
 日常見かける花瓶、コップ、果物、草花等であっても、描こうとして描く人は、そこに何かを、感動を、テーマを見出している
     
 絵を描くとは、ただ漠然と目の前にあるものを再現することではなく
 描く人自身が、対象や絵を描く(よく観る)という行為の中に感じた何か、対象との関わりの中に見出した何かをそこに表現することだと思う
      
同じ工場で、同時に同じ型のピアノを二つ作ったとする
完成した時、素人には、同じような音色を出すだろうが、
全く同じとはいえない
別に同じである必要はない
ピアノとバイオリンは、同じ音色を出すわけではない
しかし、ハーモニーを作り出すではないか
同一である必要はなく、響きあえればいいではないか
      
人と人は分かり合えるのか
<分かり合える>と信じれば分かり合える
<分かり合えない>と信じれば分かり合えない
そもそも、<分かり合える>という言葉の意味が分かり合えるのか
<分かり合えないけど、分かり合える><分かり合えるけど実は分かり合えない>
何の疑いもなく、分かり合えるんだと決め付け、わかってもらうことを強要する人の傍にいると大変だが、

どっちでもいい
       
 温かいものを触り、温かいとか冷たいと感じるのは、手と物に温度差があるから
 熱のある人のおでこに手を当てると、熱を感じる
 でも、人と人が、あなたと私が手を握り合い、抱き合う時は違う
 あなたも私も同時に、温かいって感じるでしょ
          
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