魚が水を感じる時間

k1s2005-07-31

瞑想生活を続けていると、
精霊が降りてくるような体験をすることがある
精霊という言葉を使うと、
やれ、カルトだのニューエイジだの
その方面で使われている精霊という言葉と混同してややこしくなってしまうが
「精霊が降りてくる」としか言いようがない
他の表現をするなら、
「魚が水を感じる時間」とでも言おうか
その時には、精霊や精気や空気がいつも生命体を取り巻いているから
生命が生きていられるということがわかる
精霊が降りるとは、特別なことではなく、
いつも降り注いでいること、いつもその中にいることがわかる
ただ、日常ではそのことに気がついていないだけ
慌てて暮らしたり、怒って暮らしたりすると、
すり抜けていったり、振り落としてしまっていたりする
怒って暮らすと、命をすり減らしているということがわかる
人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ
                 
瞑想とは、精気精霊の中に、自分が生かされていることに気付くメソッドのことだ
そこに信仰生活が生まれる
           
魚が水を感じる時間
あえて言葉にするなら、
海が光っているのではなく、光が海の中にある
森に木漏れ陽があるのではなく、光が森の中で輝いている
世界はそのままあるがままではあるが、わたしが変わることで
世界も違う姿を現す