苦しい時の神(仏)頼み

「苦しい時の神頼み」という言葉は、普通、いい意味では使われない
いつもは不信心でありながら、自分の困った時にだけ
都合よく、神仏に頼ることを批判していう言葉だろう

では、この言葉を、誰かの行為に対して、批判的に使う人の考えとはどんなだろう
信仰のある人だろうか、信仰のない人だろうか
いつも神仏とお話していて、信仰の篤い人は、
ある人が困った時に、神仏に頼ろうとすることには、批判しないのではないか
常日頃、神仏に頼ることを否定している人のほうが、
ある人が困った時に神仏に頼ろうとした時、批判するのではなかろうか
「信」とは、何を信じることだろう
宇宙の善意を信じることではないか
宇宙の善意が、一個人の救済の願いに対して、
どのようにあらわれるかはこの際問わずして
苦しい時、神仏に頼めばいいと
今は思う