文字のない世界

文字のない世界とはどういう世界なんだろう
「文字」という言葉そのものが<文字>だから、「文字」という言葉を使って<文字>のない世界を考えること自体、<文字>のない世界ではない。
 ある民族には、話し言葉はあっても、書き言葉がなかったといわれている。そんな書き言葉の無い世界で、自分自身と、他の人々と、自然界とコミュニケーションをしたとき、どのようなコミュニケーションになるのだろう、と思う。
 というのは、心とか無意識という言葉は、書き言葉が生まれたから生まれたのであって、話し言葉のみの世界では、存在しなかった言葉であると言う人々がいるからだ。
 新大阪の駅で、電車の中で読もうと本を買った。
ブルーバックスの「脳科学入門」
マンガ脳科学入門―心はどこにある? (ブルーバックス)
そこにそのようなことが描かれてあった。

話し言葉世界、口頭文化では、「心」とか「自我」という言葉、あるいは「考える」「信じる」「疑う」という言葉はなかった、ということが「私の心」に引っかかり、気になっていました。
 そこで書き言葉、話し言葉でインターネット検索をしたところ、
マクルーハングーテンベルクの銀河系−活字人間の形成」という本に行き着きました。
グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成
 文字世界にどっぷりつかってしまった私には、「純粋な書き言葉のない世界」を体験することは難しいと思う。
 しかし、コミュニケーションをまるっきり文字・書き言葉に頼っているかといえば、そうでもない。
 いってみれば、書き言葉話し言葉混交文世界にいると思う。
 書き言葉、文字を全面的に否定するのではなく、書き言葉というベールに覆われてしまった奥の世界を、味わっていこうと思っている。
 昔から東洋では、「言葉とは、月をゆびさす指であり、月そのものではない」というらしい(出典不明)