生のジュースと死のジュース、ミックスジュース

 貴方が日々日常を生きるにあたって、実に色んなことをします。食事、着衣、仕事、勉強、交友etc.  色んなことをするといっても、貴方の価値観に沿って、いろんな選択肢の中から、選んで行動しています。価値観に沿って、あるいは目的、目標、理想に沿っての行動なのですが、あまりにも当たり前すぎて、その価値観や理想、目標を意識しないままに行動していたりします。
            
 そこで、改めて問うのですが、貴方が一番基本的に従っている価値観、人生の意味、人生の理想とは何でしょうか?
             
 「ともかく生きよう、生きていたい」ということが基本的な目標ではないでしょうか? 「内容はともあれ、とにかく生きることに価値があるのだ」という価値観に従っているのではないでしょうか?
            
 ところが、私達は言葉を獲得し、いろんな経験を積み、大人になっていく過程で、次の動かしようのない事実に向き合うことになります。それは、
             
「どんなに生きていたいと思っても、人は必ず老いて死ぬ」「どんなに財産を作り、肩書を付け、智慧を身につけても、それらをおいて、身一つで死ぬ」ということです。
             
 この事実を知っても、その後の選択肢は一つではありません。
                  
 ますます、生き延びるための努力をする人もいます。死ぬということをなるべく意識しないでいようとする人もいます。 積極的に死を意識する人もいます。
                
 生と死の選択肢は、二者択一の選択ではありません。
                 
 目の前に、生のジュースと死のジュースがあって、そのどちらも必ず飲まねばなりません。いつか飲まねばならないのに、死のジュースを冷蔵庫の奥にしまっておこうとする選択をする人もいれば、時たま、何かの折に死のジュースを出してきて飲む人もいれば、意識して生にジュースに混ぜる人もいれば、死のジュースの味付けを工夫する人もいます。
                
 実際、死のジュースの味は、決まっていないのです。生のジュースに、死のジュースを混ぜると味がまずくなると思っている人もいますが、混ぜ方と飲み方次第なのです。
            
 死のジュースを冷蔵庫にしまっている人は、死のジュースを飲むと、一方向に流れていた時の流れが止まってしまうと思いこんでいたりします。
             
 確かに死のジュースを混ぜると、目標に向かってまっしぐらに進むとか、素早く動くことが出来なくなります。
                
そんなとき、いつもの日常のなかに、不思議を見出したりします。
 見栄を張ったり、人と競争するのが滑稽に見えたりします。
 かえって、生のジュースの味が濃くなったと感じる人もいるでしょう
               
 やたら混ぜても、味は出ないでしょう。
   
 また、生のジュースには、仏教でいう「渇愛」という要素が入っています。
 生のジュースだけを飲み続けていると、実は副作用が出ます。
    
その副作用を抜くには、死のジュースを飲む方がいいのです。
一回や二回飲むだけで抜けるというものではありません。
             
 「違いを見出すこと」
 「違いを作りさせること」
 「違いを生む違いを見出すこと」
              
 生と死のミックスジュースのレシピです。

 生のジュースも、死のジュースも同じ樹木から絞られるのです。