私は、田舎町で接骨院の院長をしている
今日は朝から何を考えていたかというと
「ローザ・ルクセンブルク」のことを考えていた
治療の合間だけでなく、治療中、人の身体に触れながら、
手はその人の凝りを探り、あれこれ会話しながら、
心はローザ・ルクセンブルクの生涯を思っていた
ローザのことを話題にしながら、治療できればいいのだが、
朝から見えた患者さんは、ローザのことも、第一次大戦前後のドイツについても、話題になりそうな人ではなかった
ローザは虐殺され、河に6ヶ月間あまり放置されていたという
ローザの生涯を思いながら考えていたことは
「人生何が大事か?」ということ
人はいつか必ず死ぬ
その死に方はいろいろ
ローザに関連して、例えば、カンボジアでポルポト政権下撲殺された多くの人々のことを思ったり、「戦場のピアニスト」の映画の中であった、家族の為に下水管の隙間を通ってパンを運んでいて、ナチスに見つかり、殺された少年のことを思う。
日々、私は「何を大事として」生きているだろう?
生そのものが貴重であり、輝かせ、響きあって生きていたい
だけど、
「生を輝かせること」と「自分の名声を上げること」が、入り混じっていたりする
ところが
私は敏感に、それらが混じっていることをかぎ分けてしまい、混合物を受け入れる寛容さもない