要素論から全体論へ ホメオスタシスとホメオキネーゼ

 ホメオスタシスという言葉は、生理学を学んだ人だけでなく、健康のことを考える一般の人々にもよく知られている言葉です。

 広辞苑によれば、ホメオは同一、スタシスは状態という意味を表し、アメリカの生理学者キャノンが提唱しました。
 「生体内の諸器官が、気温や湿度などの変化や姿勢・運動などの変化に応じて、統一的・合目的に体内環境をある一定範囲に保っている状態・機能」のことをいいます。

 ホメオスタシス機能が正常に働いていることを、健康といい、働いていないときは病気というような常識が、成り立っているように思います。ホメオスタシスを、自然治癒力とか自然回復力と訳す人もいます。

 ところが、今世界観に大きくゆったりとしたパラダイムシフト(ものごとの見方の転換)がおこりつつあり、ホメオスタシスという言葉も、再考されつつあります。

 というのは、ホメオスタシスという言葉は、元々化合物が安定している状態から得られた言葉です。確かに、人間の体温や血液の二酸化炭素分圧など、ほぼ一定に保たれていますが、よく観察すると、一定ではなく、細かい変動のゆれがあるそうです。

 いま起っている、大きくゆったりとしたものの見方の変化とは、一つは、人を精密機械のようにではなく、生きている掛け替えのない命として捉えることです。部品の寄せ集めではなく、人間個人全体は、部分の総和以上のものであるという捉え方です。

 椅子の上にぬいぐるみを置いたときの安定と、人間が座った時の安定は違います。
 ぬいぐるみは、物理条件が変わらない限り、そのまま動かず、安定するでしょう。しかし、人間の安定は、同じ動かないように見えても、常に自身の内部同士や外部とのフィードバック、目に見えない動きによって、安定が得られています。

 ですので、「安静」という言葉にしても、身動きの取れないような安静と、身動きの取れる安静があるということです。

 外から見れば同じような形をしていても、中身は全然違ったりします。身動きの取れない安静を選ぶのか、身動きの取れる安静をとるのかで、例えば、褥瘡の発生や経過が違ってきたりします。

 今一度、ホメオスタシスという言葉を味わいなおして見ましょう。