とうに死んだはずの鼠の頭蓋骨が動いた

12月9日の日記「全共闘焼け跡派」にコメントを頂いた
 
# 紅衛兵 『はじめまして!
http://www.linelabo.com/1970ramo.htm
http://www.linelabo.com/nosaka0512.htm
私もつい近くで!、同じ時代の空気を吸っていたわけだとかんがえると、とても不思議な気がします。』
 
 紅衛兵さんとは、前田年昭さんで、詳しいプロフィールは、同氏のHPを読んでみて下さい。
 
 今年の夏、19年一緒に暮らしていた猫のドラミが、亡くなった。
 痩せほそろえて、歩くのもやっとだったのに、最後の日、私達の目の前から姿を隠した。
 私の家は、雑木林の中にある一軒家なので、裏山のどこかで眠っていると思う。
 都会でもし一緒に暮らしていたなら、部屋の中で亡くなっただろう。
 
 ドラミさんは、時々、生きた鼠や鳩などを部屋に持ち込んだ。
 子供に狩りを教える為に、そうすると、動物の本には書いてある。
 
 頭だけのモグラヒミズということもあった。
 
 そんな時、私ははきだし窓の外にある花壇に、頭を置いておいた。
 仏教の行に、死体が段々腐乱していくのを見つめ続けるという行があって、
 現在では、かなわぬことなので、せめて鼠の頭で行をさせていただこうと思ってのこと
  
 数日経って、一部骨が現れた鼠の頭をみると、ガクっと頭が動いた。
 ほんの少しだけ、驚いたが、よくみると、蛆虫が頭蓋骨の中に多数あって
 バランスが崩れて動いたのだった
 
 雑木林の中の一軒家で、猫と共に暮らしたから、味わえた体験のひとつだ。
 
 死んだ鼠の頭の中の蛆虫が観れるなんて、なんと豊かな暮らしだったなと、
 本当に思っている
 
 どんな事情があったか知らないが、今年、熊野古道に面したヒノキの枝で
 一人の人が自殺した
 私は、那智勝浦町の観光ボランティアをしていて
 古道の下見に行って、ヒノキの下に花が手向けられていたので、それを知った
 
 古道を歩くたびに、ああここで今年、人が亡くなったんだなと思う
 
 かつて古道で、行き倒れた人も多くいただろう
 かつて過去生で、私も行き倒れていたかもしれない
 今生だって、少し違った縁があれば、そうなっていたかもしれない
  
 が、私は、見えざる手によって、支えられているとも思っている
 もちろん、見える手によっても支えられている