貪瞋痴 幸せを求めるのが、苦しみの元

懺悔文           さんげもん
 我昔所造諸悪業     がしゃくしょぞうしょあくごう
 皆由無始貪瞋痴     かいゆうむしとんじんち
 従身語意之所生     じゅうしんごいししょしょう
 一切我今皆懺悔     いっさいがこんかいさんげ
   
貪瞋痴 貪欲、瞋恚、愚痴といわれると いけない欲望を持つことをイメージしてしまう
私は決して、貪欲など持っていないと思ってしまう
  
「貴方は幸せになりたいか、不幸せになりたいか」と問われると、
「幸せになりたい」と応え、「幸せを求めること」を肯定するだろう
  
「美味しいものを食べたいか」「不味いものを食べたいか」と問われると
「美味しいものを食べたい」と応え、
美味しいものを食べたいと願うことは別に否定しないだろう
   
 幸せになりたい、美味しいものを食べたい、そう願うことが、実は貪欲だ
   
幸せになりたい、美味しいものを食べたいと望み、得られている時は
それが貪欲であることに気付かない
   
 一度、自分の望むような美味しいものが得られないとき、途端にそれは苦しみとなる
   
 幸せを求めることが、不幸せの元となる
  
 「幸せ」を「悟り」「救い」と言い換えても同じこと
   
 「美味しいものを食べてはいけない」「幸せになってはいけない」
といっているのではない
 求めて、得られるとは限らない、といっている
 求めることが、貪欲だといっている