太極拳と性

私達の通常の感覚では、例えば
「机の上に本が一冊あります。」
といった時、机、本、私、あなた、空間が先ず別々の存在であるという前提がある。
何の疑いもなく、心、魂、身体、肉体ということばを使ったりする。
「あなたのことを愛しています。私と結婚してください」と誰かが誰かに発言した時、
「愛とは何ですか、結婚とどう結びつくのですか」と問う人はめったにない。
 哲学的な論議は、それが好きな人に任せるとして、
 人と人が近しく(親しく)なれば、それだけぶつかることも増えるということだと思う。
自分の性欲とどう向き合うか、人生の大きなテーマであると思っている
「悟り」が深ければ、また「魔」も深し
結果としては、肉体の衰えと共に、枯れていくのだろうが
枯れていく過程の中で、「色々」あるのが通常だろう
否定すればするだけ、そのエネルギーは増していったりする
太極拳は、相手と密着することを選択する
勝つことはないが、負けることもない位置を選択する
性欲についてもまた然り
親鸞さんや宮沢賢治さんや観音経に、人間の苦悩の跡が見られる