私の熊野堀切川

私が子供の頃、家の明かりといえば、笠付の裸電球だった。
ご飯は、かまどで炊いていた。じきにガス釜に変わった。
電気製品といえば、後ラジオくらいだったか。
高度成長期に入り、電蓄、テレビ、洗濯機、トースター、電気釜、電気コタツなど
次々電気製品が増えていった。
テレビ電話なんて、ずっと先の未来のことと思っていた。
家の裏手に幅1メートルくらいの水路があった。
両面が石垣で、この水路の上流と下流を堰き止めて、
鰻やどじょうを捕まえた。
糸鰻やアメンボや、メダカや、フナやゲンゴロウがいた。
少し上流と下流にそれぞれ大きな土管があり、
その上を国鉄線と国道線が走っていた。
そこに仕掛け釣りを流しておくと、鰻がかかった。
ある日、大きな鰻がつれた、と思ったら、鯰だった。
高度成長期の頃、この水路は、コンクリートで三面護岸され、
下水道になってしまった。
魚たちは全て消えてしまった。
多くを得ているとき、私達は多くを失っている。