生きる 苦しみ 存在 認知 受容

存在論
「生きていたい」というのは万人の願いだろう
(例え、自殺したいと思っている人であっても、
心臓が動いていないと、自殺できる体力がないと自殺できない)

と同時に、私達人間は、自分がいつか、
あるいは、ある日突然、この世からいなくなることを知っている

そこから、色々な苦しみが派生する

肉体を維持していくには、光や空気や水や食べ物や家や衣服が必要となる
自分という存在を維持していくには、家族や学校や、友だちや仲間や、
様々な組織、会社や国家や社会を必要とする

そこでの関係や所属を維持するために、文化や道徳や法律、常識というものと
折り合いをつけなくてはならなくなる
そこに又、色々な苦しみが派生する
修証義の仏教
仏教では、この苦しみを四苦八苦という
生老病死の四苦
先ず第一に、生そのものが苦しみという
しかし、生きていたいというのは、万人の願いだろう
生きたいと願う限り、苦しむということだろうか

少し、視点を変える
苦しい時、24時間苦しいだろうか、一秒一秒苦しいだろうか
苦しみの真っ只中でさえ、苦しみを感じないときがある、忘れている時がある
東洋の瞑想とキリスト者の祈り      
その体験から、私達は様々な苦しみの解決法を編み出した
忘苦、離苦、滅苦、受容苦
たった今このときに集中することで、
時間に関係した苦しみ(心配、不安、後悔)から離れることができる
ただ、例えば、たった今このとき、怒りに狂っている時、
酒やギャンブルや性、娯楽などの快楽に浸っている時など
苦しみの状況はますます深まっているのに、苦しみを忘れている時もある
構造主義科学論の冒険 (知における冒険シリーズ)
ともかく、自分が作り出している苦しみは、作る事をやめたらいい
自分が作り出したわけじゃない苦しみは、受容するしかない
ところで、自分が作り出していない苦しみってあるだろうか
苦しみは、結局は自分が自分で作り出しているのではないだろうか
「自分が作り出していたんだ」という自覚がこれまたとても難しい
「ひどいあなた、ひどい世の中、かわいそうな理解されない私」
というドラマの主人公になりたがる