揺らいでいく視点

k1s2005-04-26

 50歳を越え、からだのあちこちにがたがきだすと、「あと10年生きられるかな」という思いが、リアリティを帯びてくる。幼い頃から、消化器系が弱くて、20歳代の時には、東南アジアを放浪旅していて、タイで赤痢になって死に掛けたことがある。

 これがもし60や70まで生きられるとしたら、その時、もっと別のリアリティを感じることだろう。30歳代や40歳代の頃も、自分の死について考えたことがあったが、今よりリアリティが少なかった。

 とこうして、過去や将来の死について「考え」、あれこれ生き延びる手立てを考えるのは、左の脳。
 生き延びる手立てとして、制度や法律や道徳、常識、文化といったものを作り上げる。
 命を守るための道具であった制度や法律、道徳、常識といったものが、同時に命をがんじがらめにしたりする。例えば「結婚制度」

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 歩みを止め、立ち止まり、ものごとをじっと丁寧に観続けていると(右脳へスイッチが切り替わり)、ものの見方というものが揺らいでくる。確固たるものの見方(制度、道徳、常識)と思っていたことが、ある場所からの一つの見え方であることに気付いたりする。

 だけど、集団生活を維持し、生き延びていくには、右脳だけでは生き延びれないのだろう。左脳だけだと、がんじがらめで争いが絶えない、左脳を放棄すると、ファシズムや被洗脳状態、あるいは独りよがりに成りやすい。

 斯く生きている人間という動物は不思議な動物だ。一人一人の人間は、宇宙全体が見ている夢のひとつの表れなんだろう。どんな夢を見ましょう、どんな絵を描きましょう。

 私達一人一人は、みんな夢、みんな花
 花咲かせ、花咲かそ