内なる時間

 
 NTT東日本によれば、小学生の85%が、公衆電話を使ったことがない(使い方がわからない)そうです。

 我が身を振り返ってみると、

 生まれたときから、時計があるのが当たり前だったので、時間といえば、外にあるものと思い込んでしまっています。
 
 しかも、一方向に、均一の流れるものと思い込んでいます。

 しかし、「時」というのは、それぞれの中に「それぞれの時」があるのが、本来だったと思います。

 外なる時間に合わせる生活を続けるうちに、内なる私自身の時を忘れがち。

 一生にしても、自分なりの一生があったのに、学校などへ行くようになって、

 年齢の横並びが、当たり前と思う傾向があります。

 これは、英語などを習ううちに、
 
 過去形、現在形、未来形という時制の表現に馴染んでしまったことも関係しているように思います。
 
 
 ところで、公衆電話の使い方を知っていても、番号を覚えていないとかけられませんね。