日照りの時代

「くまの文化通信」第30号で、「異色の水平運動家・栗須七郎」と栗須七郎の伝記「水平の人−栗須七郎先生と私」を書いた鄭承博を、はじめて知りました。
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 今年の夏はとても暑かったです。それで、雑草の伸びも例年通りではありませんでした。
これから日照りの時代がやってくるように私は思っています。日照りが続いても、一斉に草が枯れる訳ではありません。弱いところから枯れていきます。弱いところが枯れ始めても、自分が生きていれば、なかなか、枯れていく他の命たちの姿は、目に入らないように思います。


 これからの時代だけでなく、日照りはいつもあったかもしれません。弱いなりに、しっかり(充実)した生を生きた人は、歴史を振り返るといつもいました。
そもそも何を以て弱い、強いというのでしょう。いつかみんな枯れていきます。


 どのように枯れる身であっても、夕日に見とれることもできますし、夜空の小さな星の光の中に、悠久の生命の歴史を感じることもできましょう。自分の根が伸びている大地が、かつて生き、そして枯れた数えきれない命たちであることを感じることもできましょう。

 
 大地の底で、根は絡み合っており、地下水脈は流れています。