ついに、小津安二郎作品「東京物語」を見た。
小津安二郎も東京物語も、これまで何度も耳にしていたが、実際に作品を見るチャンスがなかった。
隣町新宮市で、上映されることになったので、行ってみた。
瓦屋根の続く町並み、その間を走る蒸気機関車
箒とはたきでの掃除
昭和29年生まれの私にとっては、ノスタルジックな風景
一切の予備知識がないまま見始めたが、
ストーリーが展開していくと、ノスタルジックな思いは消えていく
私は戦争の体験はないが、子供は3人育てた。今もその最中。
「いまどきの若い者は、、、」といわれながら、自分も育ったが、
自分は、自分の子ども達にそういう言い方はしない
自分自身を振返って、その時代社会風土の影響を受けつつ育つのは、必至だから
生きていく為には、その時代社会のルールも覚え、生活力も身につけなければならないが
同時に、広大無辺の宇宙の中で、今このときの、生きている、生かされている奇跡、有り難さを感じつつ、生きて欲しいと子ども達に願う。
願いはするが、子ども達が、あるいは友人達が、奇跡や有り難さを感じつつ生きるかどうかは、その人に任されている。
自分が出来ることは、自分が、その奇跡有り難さを、自覚し続けながら、日常を送ることだ。
私の父は、私が39歳の時、心筋梗塞で突然亡くなった。68歳だった。
その次の年、母が再発癌で亡くなった。67歳だった。
その3年後、義母も再発癌で亡くなった。最後の2年は、我が家で過してもらった。
とても変な、そして不謹慎な言い方だが、いい時期になくなったと思う
その死にゆく姿によって、私に、生きることの奇跡と有り難さを教えていただいたと思っている
東京物語の中で、山村聡が演じる長男が、母危篤の電報を貰った後、縁側で、ペットの犬を口笛で呼び寄せるシーンがあった。とても象徴的なシーンだと思った。
今もし自分が亡くなったら、子ども達は、そのことや葬式を通じて何を学ぶだろう
子ども達は、今のところ、喪主になる力量がない、と自分は思っている
がしかし、時の流れは、容赦なく変化していく、思いもかけないことがおこったりする
そして、人はその力量にあった学びをするだろう、と思っている
「なるようになる」