花瓶に活けられ精一杯咲く花

k1s2005-06-09

人が生きようとする源泉は何なんだろうかと問いかける
「快」「快楽」という文字が浮かび上がる
では、苦痛の中にあっても、生き延びようとする力はどこから生まれるのだろうと問い直す
「希望」とか「ただ存在するだけでも快」という答えや
「苦痛といっても、それはまだ耐えうる苦痛なのだ」という答えが返ってくる
「問いかける」ということ自体、生きていようとすることの現われだ
誰の答えを期待しているのか?どのような答えを期待しているのか?
耐える力を与えてくれる答えか?
満足した答えが得られたら満足するのか?
そもそも、満足できるような答えがあるのか?

人によっては、「責任」ということばを思い浮かべるかもしれない
しかし、その人(私)が亡くなっても、やはり世界は巡っていく
「縁」ということばが浮かび上がる
生きる縁が、死ぬる縁にまさっている時、生かされているだけのこと
生きたいと切に、強烈に願っていても、死んでしまう人だって沢山いる
私達だって、いとも簡単に、花を花瓶に挿すではないか