「男はつらいよ」後姿の寅次郎 熊野夢日記 <食べ物はすべて毒 ことばも毒 教育も毒 >

シーン 寅さんと大石清乃の母 智恵子の会話

   「食べもの,ことば、教育は、すべて毒 」

智恵子「わたしね、今こうして元気に過ごしているけど、20歳のころはそうでもなかったの。そんな私だけど、結婚は早かったの。それが、彼の家は奈良県の有名な山林地主でね。事業も手広くやっていて結婚後10年経っても、子どもができなくてね。それどころか、寝込んだりすることも多くなってね、それで、離縁になったの。それからいろんな健康法とか興味を持つようになって、料理も工夫するようになり、元気になり、再婚し、それで今こうして自然食レストランをしているのよ。

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 自然食レストランしていながら、こんなこと言ったら変に聞こえると思うけど、私が経験の中で得た結論は、「食べ物はすべて毒、犠牲の上に成り立つ毒」ってこと。食べ物だけではないわ、「コトバも毒」、「教育も毒」だと思うの。でもその毒なしでは、ヒトは生きられないと。

 

寅さん「食べ物も、コトバも、教育もみんな毒、か」
智恵子「そう思って調理し、言葉を使い、教育したほうが、自分の間違いに気づきやすいと思うのよ。ヒトに良かれと思って作った料理でも食べ方によっては、害にもなるし、相手のためと思って言った言葉ほど、相手が受け取らなかったら、腹を立てたりするでしょ。教育もそうじゃないかな、知恵や知識が身につくことは、生きていくには必要だけど、同時にどこか不完全で、気づかないうちに間違っていたりしていると思の。確かに、目の前のことには役に立っているけど、自分の知らないところで害を与えているかもしれないと思っている方がいいと思うの。自分は正しい、と信じて疑わないヒトって、危険だと思うのよ。

 

寅さん「私ね、16の時に家を飛び出して、それから放浪の暮らしを続けてきたんです。19歳の時、一文無しになってね。山形県寒河江という町で、あまりにもお腹が空いて倒れそうになり、駅前の食堂に飛び込み、お金はないけど、何か食わしてくれ、って言ったらそこの食堂の人が親切にしてくれてねえ。お雪さんっていうんだ。そのお雪さん、乳飲み子を抱えて一生懸命頑張っていたよ。お雪さん、ある男にだまされてねえ。自分に、学問がないから男の不実を見抜けなかった、といっていたそうな。


 学問がないって悔しいよねえ。(第16作 葛飾立志編 1975年12月封切り マドンナ 樫山文枝)あの時、受け売りで、学問とは自分を知るためにするんだ、と言ったのだけど、自分を知るって、自分の無知や間違い、思い込みに気づくことだと今なら思う。教養がないと、だまされやすい、なまじっかな教養があると、自分は偉いと思ったり、人を騙したりする。言葉とか教育って、毒かもしれないねえ。」
    
二人が話しているときに、近所のおばあさんが、やって来る。

             

おばあさん「清乃ちゃん、ある?」
智恵子「いまいないよ。今日はガイドの日と言ってたから、夕方には帰ると思うよ。」
おばあさん「そうかい、じゃ夕方また来るよ」


寅さん「いまのおばあさん、清乃さん「ある?」 ってきいたよね。」
智恵子「そう、もうお年寄りの人しか使わなくなったけど、熊野地方では、ひとも「ある?」ってきくのよ。私も、奈良へお嫁に行ったとき、つい使ってしまって、笑われたり、叱られたりしたわ。


 幼いころから、何気なく使っていたけど、清乃がね、学校で、職員室へ「先生ある?」って入っていって、よそから赴任してきた先生に叱られたといってね。「ヒトにはあるは使わない、あるだとモノ扱いだ、いるといいなさい」ってね。その時、清乃と調べたの。


 熊野弁のあるってね、漢字で書けば、あるなしのあるではなくて、生まれるという漢字を書くの。
(智恵子、紙に生ると書く。)
 モノのようにある、ということではなく、広い関わりの中で生きている、生きて活動している、というのが熊野地方の「ある」なんだよね。古語辞典で調べたら、そう書いてあったの。

 

寅さん「ここは、半島の端っこの、山奥だから、古い雅な言葉がのこっているんだねえ。お雪さんは、亡くなってこの世にいないけどね。飯を食わせてくれたあの時から、ずっと生きてる。あるんだよね。」

 

智恵子「寅さんは、聖人君子でないところが素敵ね。
私ね、別にキリスト教徒ではないのだけど、聖書に関係する本を時々読むの。後ろ姿のイエス・キリスト 寅さんも後ろ姿いいなあ。姦淫の罪でイエス・キリストの前に連れてこられた女に対して、イエス・キリストがこう言う場面があるの、「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」聖書の中では、誰も投げつけなかったのだけど、聖人君子とか、聖人君子でなくてはならないと思っている人は、正義に基づいて石を投げつけるように思う。

 

シーン 安朗と清乃の会話

安朗「私たちは、永遠という言葉を知っています。日常生活の中で使ったりもします。
   それで、清乃さん、永遠って、具体的にはどういうことだと思いますか?」
清乃「安朗さん、私たち出会って間もないのに、いきなりな質問ですね。」
安朗「そうですね、いきなりこんな質問して変ですね。でもあなたのそばにいると、何の説明もなしに、自分の思っていること、考えていること、疑問に思うことをそのまま話せるような気がしたものですから。」


清乃「それは、私もです。ところで、永遠を名詞としてつかってらっしゃるの?
永遠って言葉、ものの名前と同じような使い方ができるのでしょうか?時間のこと、存在のこと、働きのこと、コトバのこと、永遠について語るには、それらについても語ることになると思うんですが、語れば語るだけ、遠ざかる気もします。確かに私たちは、日常生活の中で永遠全体、神という言葉を使うけれど、永遠というものを探し始めると、見つからないのじゃないかな。」

 

安朗「永遠は、ものではなく、ことだということでしょうか?」

清乃「ことばって、事の端という意味もあるでしょ。永遠とか、全体とか、神とかは、切り分けできないことでしょ、だから、言葉で表現すること自体に限界があるように思うの。わたしのおかあさんね、「言葉はみんな毒なのよ。でもその毒なしでは生きられない」とよくいってるわ。毒っていうと、みんなびっくりするけれど、ほら、漢方の考え方だと、同じ植物でも、使い方と量によって、毒にも薬にもなるってことよね。


 わたしね、中学生のころから、地元の俳句会に通っているの。限界のあるコトバで、その永遠を表現し楽しむのが俳句と思っているの。近々、俳句会があるのよ。一緒に行ってみませんか?

安朗「ぜひお願いします。」
清乃「先ほどの質問ですけど、芭蕉の俳句に<よくみれば薺花咲く垣根かな>という俳句があるの。それが私の永遠についての応えかな。」
   色川や年末なれど裾模様 挨拶句   甘嚙みの鼻肌に触れ 冬銀河

 


シーン 寅さんと安朗 清乃に案内されて 地元の俳句会に出る 俳句会の後 寅さんが旅の話をすることに

寅さん「えー、ご紹介にあずかりました車寅次郎です。何かお話を、ということですが、私は御覧の通り、旅を続ける渡世人です。その土地土地のお祭りで、商売をさせていただいています。そんな、私には高尚な話は期待できないでしょう。そこで、これから皆さんと過ごす時間、ああ楽しかったな、という時間になればと思います。なんでもいいからお題をいただくとか、質問とかございますでしょうか?

 

同席者「寅次郎さんは、色んなお祭りで商売しているといいましたが、寅次郎さんは、神様を信じてるの?」

 

寅さん「先ほど、高尚な話は期待できないといったんですが、いきなり難しい質問ですね。私は恋を幾度もしましたが、結婚は一度もしていません。つまり、おかみさんは、私にはおりません。私には居りませんが、おる人にはおる。この地方では、「あるひとにはある」というのかな。しかし、私も、いつもかみさんには憧れて居ります。実際には、みることも触れることもできませんが、時には話しかけたりもします。
 人それぞれのかみさん、太郎のかみさん、次郎のかみさん、三郎のかみさんのことについては口も手も出しません。それぞれの縁があって出会ったのでしょうから。」

 

同席者「寅次郎さん、最近地元の若者も使わなくなった「ある」ってことば、誰に教わったんだい?」
寅さん「ええ、それは、<わたしはある>というおかみさんから」

 

若い参加者「車さん、僕テレビや映画で啖呵売を見たことはあるんですが、実際に見たことがないんです。何かやってみていただけないでしょうか?」

 

寅さん「そうだね、先日バザーで石鹸が並んでいました。石鹸、ボンシャの啖呵売してみましょう。

 さてみなさん、花に色香があるように ことばにも色香がある。
 私が思うに、色香はほんのり漂うのがいい。
 悪臭を消すために、いい香りを使ったりしますが、
 どんなにいい香りも、強すぎたり、長い時間嗅いでいるとむせてきます。
 だけど、香りを放っている本人はそのことに気が付かない。
 ここに並んでいるリンジン石鹸 嗅いで見てください。

 ほとんど香りがいたしません。
 この石鹸で体を洗うと、あら不思議。
 はじめは香りがしないのに、しばらくそばにいると、ほのかに香る。
 その香りは、遠い故郷の海山川、懐かしいお母さん、幼馴染の香り。
    

  本来ならば、角は一流デパート、赤木屋 黒木屋 白木屋さんで、紅白粉(べにおしろい)つけたお姐ちゃんから、ください頂戴で頂きますと、千円、二千円はする品物。
卸問屋の青木屋が、訳あって、泣きの涙で放出したものです。


 いつもなら、いい品物を「あなたがたに」安く売るのが私の商いですが、
このリンジン石鹸に限っては、値下げいたしません。分かる人にだけお分けいたします。まずは、「あなた」が使ってみてください。一個千円。さあどうでしょう。

 

若い参加者「買った。一箱下さい。」
寅さん「お兄さん若いのに、花の色香、ことばの色香がわかるんだねえ。見上げたもんだよ、屋根屋の褌てね。」