意味がないから、意味がある

 

 時々、朝の寝床で、生きる意味を見つけないと、起きられないときがあります。

 例えば、今日は、山の中の一軒家である我が家の前の道を、数か月ぶりに掃除したのですが、私にとっては意味があることであっても、積もった枯葉の下に住んでいたミミズさんたちにとっては、意味がないというか、破壊活動です。
 
 掃除だけでなく、私の活動は、どれもこれも、さほど意味があることのようには思えないのです。

 掃除しても、そのうち私がいなくなれば、他に掃除する人もなく、また枯葉は降り積もるでしょう。

 現に今こうしてブログに何か書いても、誰かの目に留まるわけでもなかったりし、仮に目に留まっても、忘れ去られることでしょう。

 そんな感じで、朝起きられないときがあります。

 でも、二度ほどの臨死体験がある私には、処方箋があります。

 処方箋A 「意味がないから、意味が生(あ)る。」

 処方箋B 「ともかく、見る前に飛べ。」

 枯葉を竹ぼうきで掃くこと自体は、楽しいです。